またまた先日の記事の続き、という感じで。

食事にこだわったり、インテリアにこだわったり、
〇〇にこだわる、ということについて。

こだわるからこそ良いものが生まれたり、素晴らしい
ことが出来たり、その人らしさが作れたり。

そしてその個性でお金を稼ぐことができたり、そのお金を
良いことに使うことができたり。

持って生まれた自分のなかにあるどうしても譲れない何か。
自然に、気にしなくてもこだわっている何か。
人から言われなくても勝手にやっていること、好きなこと
、楽しくて仕方ないこと。

それはとても普通のことで、自然なことのように感じます。


じゃあ、こだわりが悪い方向に働くときってどうだろう。

自分の身の丈に合わないのにそのことにこだわったり、
人に迷惑をかけているのにそれに気が付かずに意固地に
なったり。

人を傷つけていたり、人に限らずとも何かを犠牲にして
しまっていたり。

それは自分にとっても、人にとってもあまり愉快な
ことではないように思います。


最近、とてもよく思うことがあります。
「人を支配しようとする気もち」についてです。


「支配」とかっていうと、なんだか恐ろしい感じが
するかもしれないけれど、親が子を、妻が夫を、夫が妻を、
そして子供が親を、支配しようとする気持ちがさまざまな
ところで頻繁に見て取れると思います。


人は誰でも自分は良かれと思って行動しています。
でも、それは本当に相手のためになっているでしょうか?

多くは、自分のこだわりや価値観、自分の善悪の判断に
基づいたもので、それを相手に押し付けようとしている
のではないかな?と思うんです。


相手が何を思い、どう考え、何を感じるか、をありのまま
にエンジョイする自由をちゃんと認めているでしょうか?
それがたとえ幼い子供であっても、長年一緒にいる夫や
妻であっても、そして親であっても。


自分が自分の感じ方、考え方を大事に出来る快適さを
与えてほしいのなら、全ての人に同じ快適さを当然
差し出すことができますよね。


かつての私は”ものすごく夫の考え方を支配したいと
思っていたなあ~”と最近時々思い出すことがあります。
「自分だったらこう考えるのに」という思いばかりが頭に
あって、その思いや考えに賛同してもらえないと
憤慨して、イライラしていました。


瞑想をはじめてから、イライラしながらも体の感覚を
感じる方法が少しづつできるようになり、そしてある日
「ああ、私はこれほどまでに夫の話を全く聞いていな
かった、私がやっていたのは『会話』ではなくて、
自分の考えで相手を征服したい、といういわば
恐喝みたいなもんだったんだな・・・」と気が付きました。


以来、私はすっかり楽になりました。

支配したい、という思いがあるときは、それを達成
するまで楽にはなれません。(いや、達成しても
決して気持ちが休まることはありません)

そしてまことに面白いことに支配したいという思いがある
限り、自分の考えを素直に聞き入れてくれるような状況は
決して実現しないのです。

これは宇宙の法則=ダンマだと思います。


相手にすべての自由を与え、支配したいという気持ちから
解放されたとき、本当に穏やかで、心配のない、平和な
気持ちになれます。

もちろん今でも私の中に大きな大きな自我があり、自分の
こだわりを振り回して暴れる感情が油断も隙もなく現れます。
モグラたたきゲームのように(笑)。


私には幸い、私のやりたいことを認めてくれて、考えること
を一緒に深めてくれて、私の日々の仕事をを感謝を持って
受け止めてくれる人がそばにいます。夫をはじめ、友人、
知人、すべての人がそういうありがたい存在です。

私のこだわりを興味深く受け止めてくれて、共に成長
できることを本当にうれしく感じています。


そんな素晴らしい存在に対して自分のこだわりをもって支配
しようとしたり、相手の自由を害したりすることがないように、
全ての存在に愛をもって接することができるようにこれからも
修行していきたいな、って思います。