ベジタリアン向け、点心クラス♪寂しさ

2016/08/28

「旦那さん」

【旦那】という言葉があります。

この言葉がサンスクリット語の
【ダーナ】から来ているということを
今、知りました。

「ダーナ」という言葉は、
ヴィパッサナー瞑想を実践する中で
私にとって馴染みのある言葉と
なりました。

日本語では「与える」「贈る」「施す」
という意味です。

今では「だんな」というと
夫のことをさす言葉として良く
使われていますが、もともと旦那様
とは「パトロン」的な存在です。

私はこのパトロンという存在が
とても好きです。

自分はこういうことが出来る存在で
ありたいと何故か思っています。
これは信博さんの影響がとても
大きいと思います。

(旦那の影響で旦那っていいなって
思うようになった、って、
なんだかややこしくてすみません…(笑))

とはいえ、
こういう発想ってやはり男の方
ならではの懐の深さな感じがします。

なので、私は「旦那」でありたい
というよりも、「旦那」という存在を
尊敬し、励ましたいという感じです。


※※※※※※※※※※※※

10年ほど前に初めてヴィパッサナー瞑想の10日間コースにインドのムンバイで参加した時、コースが終わって"Dana(ダーナ)"の看板が下がった場所に参加者がたくさんの人が列になって並び、満面の笑みで幸せそうに寄付をしているの見ました。

当時の私は寄付をするという習慣も発想も全くなかったので、ヘェ〜寄付をするんだぁ、と全く他人事な感じでした。

ヴィパッサナー瞑想の10日間コースは参加費というのはかかりません。10日間の食事も宿舎も自分が参加費を払うから受け取るのだということではなく、以前コースに参加した人の寄付のお陰で受け取っているということなのです。

なので、コースを終えて自分がこのコースから恩恵を受けることが出来たと実感した人は、他の人も自分が受けたのと同じ機会が得られますように、という思いで寄付をします。額はいくらでも構いません。

参加費を払うのではなく、寄付でのみこのコースが成立しているというのはとても大切なことなのです。

なぜなら、このコースが寄付でのみ運営されていることで、参加者はこのコースに参加している間「出家の徳(ネッカマのパーラミー)」を積む機会を得られるからです。

自分がお金を払ったから食事や宿舎が使えるのではなく、食べものも、雨風しのぐ建物も誰かの好意によって与えてもらっているということ。これはとても大切な経験です。少なくともコースの間は出家した僧や尼僧と同じ修行が出来るのです。

私は初めてコースに参加した時、全くこの事を理解していませんでした。寄付をするという発想すらありませんでした。

つまり、私は「感謝する」という発想が全くなかったのです。

自分1人で生きているかのような錯覚。誤解。無知。

そんな風に思っていたとは、顔から火が出るほど恥ずかしい。なんと厚顔無恥なんでしょう…

以来、少しずつ、少しずつ、自分が受けた幸福は、循環させることが大事だと自覚できるようになりました。まだまだ自我が大きすぎますが、本当に少しずつ薄皮をはがしていきたいと思います。


かつて日本にもっとたくさんいたであろう旦那さん、という存在。励まし、応援し、身銭をきってみんなの豊かさや満足のために奉仕する気持ち。

その心意気に、私はとても感動します。

お金の絶対値ばかりが重視され、その本質が見失われているような世の中ですが、与えることの豊かさや応援することの大切さを忘れないでいたいなと思います。




コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
ベジタリアン向け、点心クラス♪寂しさ