Healthy,Tasty&Wise 心地良い毎日をすごすために

気づきと平静さのある暮らし。 千葉県の長南町にある古民家に移り住みました。

2011年05月

”暮らしの中に、小さなこだわりを重ねることで得られる喜びがある”

「食」と「住」の”快適”を積極的に楽しみたい!という人が
集う場を作っています。

・東京・千葉古民家での料理教室(ベジタリアン)や、バッチフラワーレメディのセミナーや個人セッション、住空間コーディネートについてのインフォメーションはこちらのブログの他、下記↓ウェブサイトにてお知らせしております。

http://www.healthytastyandwise.com

「ここに来ると、本気で生きるためのヒントが手に入ります」

こだわることは”悪”なのかな?

またまた先日の記事の続き、という感じで。

食事にこだわったり、インテリアにこだわったり、
〇〇にこだわる、ということについて。

こだわるからこそ良いものが生まれたり、素晴らしい
ことが出来たり、その人らしさが作れたり。

そしてその個性でお金を稼ぐことができたり、そのお金を
良いことに使うことができたり。

持って生まれた自分のなかにあるどうしても譲れない何か。
自然に、気にしなくてもこだわっている何か。
人から言われなくても勝手にやっていること、好きなこと
、楽しくて仕方ないこと。

それはとても普通のことで、自然なことのように感じます。


じゃあ、こだわりが悪い方向に働くときってどうだろう。

自分の身の丈に合わないのにそのことにこだわったり、
人に迷惑をかけているのにそれに気が付かずに意固地に
なったり。

人を傷つけていたり、人に限らずとも何かを犠牲にして
しまっていたり。

それは自分にとっても、人にとってもあまり愉快な
ことではないように思います。


最近、とてもよく思うことがあります。
「人を支配しようとする気もち」についてです。


「支配」とかっていうと、なんだか恐ろしい感じが
するかもしれないけれど、親が子を、妻が夫を、夫が妻を、
そして子供が親を、支配しようとする気持ちがさまざまな
ところで頻繁に見て取れると思います。


人は誰でも自分は良かれと思って行動しています。
でも、それは本当に相手のためになっているでしょうか?

多くは、自分のこだわりや価値観、自分の善悪の判断に
基づいたもので、それを相手に押し付けようとしている
のではないかな?と思うんです。


相手が何を思い、どう考え、何を感じるか、をありのまま
にエンジョイする自由をちゃんと認めているでしょうか?
それがたとえ幼い子供であっても、長年一緒にいる夫や
妻であっても、そして親であっても。


自分が自分の感じ方、考え方を大事に出来る快適さを
与えてほしいのなら、全ての人に同じ快適さを当然
差し出すことができますよね。


かつての私は”ものすごく夫の考え方を支配したいと
思っていたなあ~”と最近時々思い出すことがあります。
「自分だったらこう考えるのに」という思いばかりが頭に
あって、その思いや考えに賛同してもらえないと
憤慨して、イライラしていました。


瞑想をはじめてから、イライラしながらも体の感覚を
感じる方法が少しづつできるようになり、そしてある日
「ああ、私はこれほどまでに夫の話を全く聞いていな
かった、私がやっていたのは『会話』ではなくて、
自分の考えで相手を征服したい、といういわば
恐喝みたいなもんだったんだな・・・」と気が付きました。


以来、私はすっかり楽になりました。

支配したい、という思いがあるときは、それを達成
するまで楽にはなれません。(いや、達成しても
決して気持ちが休まることはありません)

そしてまことに面白いことに支配したいという思いがある
限り、自分の考えを素直に聞き入れてくれるような状況は
決して実現しないのです。

これは宇宙の法則=ダンマだと思います。


相手にすべての自由を与え、支配したいという気持ちから
解放されたとき、本当に穏やかで、心配のない、平和な
気持ちになれます。

もちろん今でも私の中に大きな大きな自我があり、自分の
こだわりを振り回して暴れる感情が油断も隙もなく現れます。
モグラたたきゲームのように(笑)。


私には幸い、私のやりたいことを認めてくれて、考えること
を一緒に深めてくれて、私の日々の仕事をを感謝を持って
受け止めてくれる人がそばにいます。夫をはじめ、友人、
知人、すべての人がそういうありがたい存在です。

私のこだわりを興味深く受け止めてくれて、共に成長
できることを本当にうれしく感じています。


そんな素晴らしい存在に対して自分のこだわりをもって支配
しようとしたり、相手の自由を害したりすることがないように、
全ての存在に愛をもって接することができるようにこれからも
修行していきたいな、って思います。

自我

昨日の記事の続き、という感じで書きます。


食事の内容にこだわることに違和感を感じたもう一つの
理由は、無私ということを学ぶ修行をしているんだったら
「食にこだわる」というのは明らかに間違っているん
ではないか?と思ったからです、


ゴータマブッダが示された人格完成への10の徳。
(徳=パーラミー、パラメーターの語源だそうです!)

その中にネッカマ(出家)のパーラミーがあります。


僧侶は托鉢で食事を施してもらう。
もし、お肉や魚が施されればそれを食べる。
頂く物はすべて感謝を持っていただく。

インドやミャンマーでは今でも托鉢で食事を施してもらう
僧侶たちの姿があります。自分の持ち物、というのは持たない
ことで、自我を滅却するという修行を積みます。

そう考えると、精進料理ってどうなの?

確かに、中国や日本で托鉢で食べ物を得るといのは大変に
非現実的だと思います。だから、お寺で精進料理、というのが
あるのはそれも現実としては仕方ないんだと思う。

・・・などと批判めいたことを心に思っているくせに
私自身はというと「こういう食事のほうが体が楽だから」
という理由で食事の内容にこだわりを持っていたり、食材も
選ぶ、調理の仕方も選ぶ。

そしてそれが体に楽じゃない食事だったらそれを嫌悪している。

はぁ~、自分のことは棚に上げて話などしているようでは
なんと愚かなことでしょう・・・まだまだ先は長いとため息
ばかり。


✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿


家もない、衣服も持たない、食べ物は施してもらう。
普通に社会人としてこの世の中で生活していく我々は
これほどのことは難しいです。

しかし、ヴィパッサナーの瞑想センターでの10日間コース
の間、私たちはこの徳を積む修行ができます。

10日間コースに参加するのに参加費は徴収されません。
全てはこの瞑想法によって恩恵を受けることができたとの
感謝の思いからの寄付によって運営されています。

指導をしてくださる先生も、一切報酬を受け取られません。
そして、食事を作ったり、参加者の身の回りのお世話をする
方たちもすべて奉仕です。

ですから、私たちが宿泊する施設も、センターで食べるものも、
教えてもらうことも、世話をしてもらうことも、すべて他人から
の施しです。


最初にコースに参加したとき、なぜこんなことが可能なのか、
全く理解ができませんでした。しかし、コースに参加する度に、
そして、自分が奉仕をする度に、善意の車輪というのはこうやって
回っていくのだな、ということを少しづつ理解できるように
なりました。


お金を稼いで、自分や家族の生活を支える社会人にとって、
自分の持ち物に執着しないということはとても大変なことです。
この部分の修行はなかなか進まない(>_<)

でもその修行をできる恵まれた機会が用意されているのは
本当にありがたいことです。


健康な食事、にこだわる。
修行の妨げにならない食事、にこだわる。
体が楽な食事、にこだわる。

笑っちゃうほど私はまだまだたーくさんこだわって
います(^-^)。

食べ方=生き方

私が食べてる毎日のご飯のブログ。
これを付けるようになってコメントいただくことがあります。

「毎日こんなにたくさんの品数・・・」っていわれたりしますが、
よーく見ていただければわかりますが、私が日々作っている
のはたいていは1-2品だけなんです。

お野菜が届いた日などは時にはたくさんのお惣菜を
作ることがありますが、毎日なくなった分を作る、という
感じで作り足しているだけ。

日にちが経ってしまったお惣菜はお味噌汁にしたり
リメイクしたり。そんな感じなので、すごく時間を
かけてたくさん作っているようで、実は超省エネ。
ご飯を炊くだけで何もしないことも多々あります。

それから、よく聞かれるのが「マクロビなんですか?」とか
「ベジタリアンなんですか?」ってこと。

そうですよね~、最近の食日記を見ればそう思われるのも
ごく自然なこと。

確かにほとんど肉・魚・乳製品・卵を食べてません。
野菜と玄米、が基本。砂糖もほとんどとらないし。
(でも、今日はハーゲンダッツのクリスピーサンド
「バニラ」食べたよ~(*^_^*)、月に1度ぐらい食べ
たくなるのだ!)

なので自分でもこの質問にはどう答えたらいいんだろう?
としばし考えました。

私自身は「マクロビの食事法を実践している」とも、
「私はベジタリアンです」とも思ってない。

お肉食べたいな~と思うときあるし、そういう時はもちろん
食べます。お蕎麦食べるときは普通にそばつゆ美味しいな~
って思うし、むしろ子供のころから“かつおだしLOVE″は
人一倍。

10年ぐらい前に栄養療法勉強してた時に、すごく厳格な
制限食をしたことがあって、その時にずいぶんと疲れ果てたので
もう無理のある制限はめっぽう御免だと思ってもいるので、
意識して頭で食べる、というようなことはむしろ抵抗が
すごくあります。

それが、すっかり自然に家での食事がこんな風に
なっちゃった。自分でもものすごくびっくりなんですよ。
一番驚いているのは私、そして夫、というぐらい。


今、私がこういう食事になっているのは、体が楽なん
です。そして瞑想がとてもしやすい。

ただそれだけの理由。

反対に、今食べたいなとは自然と思わなくなったもの
を食べると体が軽くなるまでにしばらく時間がかかってしまう
ということ。

そういうものを食べたときは「あ~、やっぱり重いな~」
とか「ざわざわするな~」とか思ったりします。

なので家では自然と自分の楽な食事を作っている、という
だけなわけです。

そうしてみたところ、食べているものを眺めてみると
マクロビっぽいんです。だから「マクロビなんですか?」と
言われれば、答えに困る。そうじゃない、と言ったって、
そう見えますからね。

私はちゃんとマクロビオティックを勉強したことは
ありません。お惣菜を作ったり、体の手入れをする時の考え方の
参考にさせていただいてはいるので、本も何冊かは読みました。

共感するところ、とても多いです。
その通りだなあ、って思うことがたくさん本に書かれてます。

でも、どうしても自分の中で「私はマクロビを実践しています♪」
という気持ちにはならなかったんです。

最近夫と話をしていてその理由がやっとわかりました。


食事を整えるということは修行するうえで大変大事な要素の
一つです。

食事の内容で体の、そして心の状態は明らかに変化します。

自分の生き方を真剣に考える時、どう生きるか、と問うとき、
どう食べるか、というのはとても大事なテーマの一つです。

この事実を最近ひしひしと実感を伴って感じるんです。

しかし、食べ方を整えることは修行の要素の一つでしかない。
大きな一部分だけど、ほかの要素の中にある1つの部分。

今の私はその「食事」という一部分にのみフォーカスする
ことに違和感を感じているんだと思うのです。

親の病気をきっかけに、ある時期私は食事というものを
最大のテーマにして生きてきました。しかし、それ
だけでは「どうも違う」という違和感をずーっと感じても
きました。

紆余曲折を経て今私は「私が一生懸命に取り組んできた
『食事と健康』というテーマは人生の大きなテーマ『人格の
完成』のための一部分だった」ということを頭と心で納得
しました。

重要な、とても重要なパーツだけどそれは部分でしかない、
ということです。

とかくマクロビオティックは食事法のみが注目されていますが、
陰陽の原則をはじめとする宇宙の法則を知り、その中で人格の
完成を志す、という思想がとても大事な部分なのだと思います。
(私は本をかじっただけなので不正確ですみません)


私はヴィパッサナー瞑想法を修行し、自然の摂理を自分の経験から
学び、徳を積む生活を心がける、という生き方に惹かれています。

ヴィパッサナー瞑想では、体の感覚を感じる瞑想法をしますが、
この時、部分部分で感覚を感じ取ることと、体全体の感覚を
感じ取ること、の両方を常に行います。

そして、時には体の感覚を感じる順序を変えてみたりしながら
常に、もれなく自分の体の枠組み全体を観察する作業を続けます。
さまざまな方向から、冷静に、客観的に観察する。

「部分」と「全体」の観察の繰り返し。

この作業をすることの意味がようやく少しわかったのかと、
なんだかとてもうれしかったのでした。

この気づきをサポートしてくれたのは夫との会話、そして
彼の言葉でした。

一人ではここにはたどり着けなかった。
一緒に瞑想を修行していて本当に良かったと思う瞬間です。


部分部分を疎かにしないこと、しかし、部分だけに留まらないこと。

やはり中庸という生き方は深すぎてまだまだ修行が足りません。

瞑想用クッション到着♪

初めて瞑想コースに参加してから5年半。
今まで家で瞑想するときは、手持ちのクッションを
お尻の下に敷いてました。

そのクッションは普段から普通に使ってるものだったので、
そろそろ瞑想の時だけに使うクッション&ショールが欲しい
なあ、とは思っていました。

ゴールデンウィークの10日間コースが終わったあと
すごくこの気持ちが高まり、遂に!アクションに移しました。

今回買ったのはこちら。

京都新町 一疋屋(イッピキヤ)の臨済宗坐蒲


小さいクッションの高さが高すぎないかな?とちょっと心配
だったんですが(いつもはもっと低いもので座るので)、
実際坐ってみるととても良い感じ。

今はリビングで瞑想してるんですが、今後、瞑想中心の
部屋を作りたいな、と思ってるところです。



届いたままの状態で並べてみました。

そして、別注でお願いしたリネンのカバーをかけて
みると



うん、うん(^-^)
いい感じです。

肌触りの良いショールも買いました。
軽くて、暖かくて。

この坐蒲&ショールは今後相当長い間使える気がします。
大事に使おうっと。

でも、いくら形を整えても、実際に坐らなければ何の意味も
ありませんよね。淡々と、毎朝毎晩坐ります。

カメラが戻ってきた!

不注意で落下させてしまい、故障しちゃったデジタル一眼。

今日修理を終えて戻ってきました。
うれしいです(^-^)

瞑想から帰宅後、ずっと更新できていなかった食日記。

カメラが戻ってこなくて、なんとなく気分も乗らず、
つけていなかったというのも正直なところでした。

今日、手元に戻ってきて、一気に今までの記録を
書き終えました。

Healthy,Tasty&Wise Diary 私が食べている毎日のごはん

クッキングサークルで作っているものも載せています。

この食日記「見るとおなかがすく(笑)」とよく言われます。

みなさんの毎日のご飯の参考になればうれしいです(^-^)
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