Healthy,Tasty&Wise 心地良い毎日をすごすために

気づきと平静さのある暮らし。 千葉県の長南町にある古民家に移り住みました。

2014年05月

”暮らしの中に、小さなこだわりを重ねることで得られる喜びがある”

「食」と「住」の”快適”を積極的に楽しみたい!という人が
集う場を作っています。

・東京・千葉古民家での料理教室(ベジタリアン)や、バッチフラワーレメディのセミナーや個人セッション、住空間コーディネートについてのインフォメーションはこちらのブログの他、下記↓ウェブサイトにてお知らせしております。

http://www.healthytastyandwise.com

「ここに来ると、本気で生きるためのヒントが手に入ります」

2014年 梅仕事のご案内♪

毎年恒例となりました<梅仕事>の案内です。

今年は、今までお付き合いのあった梅農家さんに加え、もう2軒新たにご縁がつながりました。
和歌山県田辺市で無農薬、無化学肥料栽培で梅作りに取り組んでいらっしゃる農家さんから、収穫したその日に発送していただきます。

安心、安全な梅を使っての梅仕事、一緒に楽しみませんか?

本日より申込受付開始とします。
先着順で閉め切りますので、ご了承ください。

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◎【東京 四ツ谷】
6月10日(火)、11日(水)に「青梅を使ったシロップ作り」をします。

◎【千葉 長南町 古民家】
6月28日(土)「完熟梅を使った梅干の仕込、第1回目」をします。

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≪青梅を使った梅シロップ作り≫

青梅と黒糖、あるいははちみつで作る梅エキスはクエン酸が豊富で、夏バテ防止の助けとなります。
爽やかでおいしく、炭酸水で割って飲むと体の火照りがスーッと収まるのがわかります。



仕込んでから1週間で飲み頃。
夏の暑さを前に、是非一緒に作りましょう!

<日時>
6月10日(火)午後6時半~午後9時ごろまで
6月11日(水)午前10時半~午後9時ごろまで

上記の時間内でしたらいつでも来ていただけます。
作業は30~40分程度で終わります。

<費用>
梅シロップ作りのための青梅1㎏+黒糖(あるいははちみつ)の材料費
合計で2,300円

青梅のみのお渡しの場合、1㎏1,800円となります。

*梅酒用4Lの大きさの瓶はご自身でご用意ください。



≪完熟梅を使った梅干し&紅生姜作り≫
梅干し作りはすべての作業を千葉の古民家で行います。
昨年は、古民家の庭で天日干しをし、夜露にぬれる梅干がふっくらと柔らかく仕上がって、
今までで最高の出来となりました。

梅干の山分け作業の時に梅酢で作る紅ショウガも毎回大人気。
これを食べたくて梅干を作る!という方も現れるほどです。

今年は、初挑戦の作業として、樹上で完熟した梅を送っていただくことになりました。


その梅を使っての梅干作りは、通常は梅の産地でしか出来ないとも言われています。
(5㎏のみ、樹上完熟梅を漬けてみます)

全ての作業に参加出来なくても構いませんので、一度本物の梅干&紅ショウガを
食べてみたい!というかた、そして毎年恒例で参加してくださっている方、今年も頑張りましょう!

<作業日時>
第1回目 6月28日(土) 梅の塩漬け作業
第2回目 7月20日(日) 赤紫蘇の塩もみ作業
第3回目 未定-梅雨明け後の晴天の日に3日3晩に渡る天日干し
第4回目 9月下旬 完成した梅の山分け+紅生姜作り

<費用>
●梅干し作り材料費 1㎏1単位で2800円
●参加費(*) 3,000円
*今年から「参加費」をいただくことにいたします。
第1回~第4回までの作業のため、古民家に来ていただく際の食事代などとして
使わせていただきます。作業の間は何度来ていただいても、ご家族全員でいらしても参加費は一律です。

例) 梅干2単位希望の場合
2,800円x2単位=5,600円
参加費3,000円
合計8,600円
となります。

ご興味ある方、質問などはお気軽にお知らせください。
HPよりお問い合わせください


作業の日は古民家でみなさんとワイワイ楽しむのも、この梅仕事の楽しみの一つです。

東京駅、横浜駅からは直通バスもあり、便利ですので、是非足を運んでいただけたらと思います。

みなさまとお会いできますのを楽しみにしております。
Healthy,Tasty&Wise
高橋 裕子

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おばあちゃんの知恵袋

私は、おばあちゃんの知恵袋的なことが好きです。

生活に根差した、実践の中から経験の中から育まれた知恵。
なんてことないように見えるけど、そして、なんてことないように伝えてくれるけど、
その後の自分の暮らし(=思考)を変えるほどの力があったりします。

伝えている本人に「これはすごいことでしょ!」とか、そういう気張りもなくて。
人と違うってことを主張する緊張もなくて。

机上の哲学も、思想からも自由で、
ただ、ただ、目の前のことを、ただ、ただ、やる。

思い出されるのは、ただおばあちゃんの素敵な笑顔で、
小難しいことなんて言われた記憶はなくて。

だけど、その生きざまはずっしり私の中に伝わってて。

そういうおばあちゃんになりたいなぁ。

なんでも形から入る私。
この、古民家が私をそういうおばあちゃんに育ててくれる気が・・・(笑)。

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「ここ数年のひろこは、『こだわらない』ということに常にこだわって来たよね。」って、
最近信博さんに言われて、すごく納得感がありました。

自分の中に自然にあるものではない、外からの思想や哲学や、何か。
それが自分に滲みこんでくるのがイヤ、って感じだったのかな。

たくさん、いろんな勉強にトライして、でも、ほぼすべて途中で疑問を感じてそこで終わってて。
健康に関することが私にとって大きなテーマだったから、身体に関して、食事に関して、心に関して、
いろんなことかじったけど、暮らしの中に自然に根付いたものはそんなに多くはない。

20代、30代はもっと頭でっかちで、自分は人と違う!ってことを主張したかったんだろうし、
反発心もたくさんあったんだと思う。それは「自分を見て!」という甘え心だったりもしたんだろう。

そういうものもとれてくると、ただ普通に、ただ自分と馴染むものをスッとできれば
それでいいって思えるようになって。
あまり大仰な思想も、理屈も、哲学もいらないなって。

仏陀の言葉に
「悪い行いを慎み、
良い行いをなし、
心を清めよ。
これが、すべての悟った者たちの教えである」
というのがあります。(ダンマパダ183)

あまりにシンプルで、「これだけ?」って思うほど。
でもホント「これだけ」だなって、思う。
そしてこれがいかにチャレンジし甲斐のあることかって。

瞑想コースの講話ではこう語られます。
「ほかの人のやすらぎと和を妨げる行いは、悪い行いです。
ほかの人を助ける、ほかの人にやすらぎと和をもたらす行いは、善い行いです。
さらに、このことを深く探ってゆきますと、次のことがはっきりと見えてきます。

ほかの人を傷つける行いをするとき、心には必ず、怒り、憎しみ、恐れなどの汚れが生まれているということ。
そのときその場で、自身の内に地獄の苦しみを味わいはじめるということが。

同じように、ほかの人を助ける行いをするとき、心には、愛、慈しみ、善意が生まれています。
そのときその場で、自身の内にこの上もないやすらぎと和を味わいはじめます。

つまり、ほかの人を助けるとき、同時に、自分自身をも助けているのです。
ほかの人を傷つけるとき、同時に、自分自身をも傷つけているのです。」

良い行いをなし、
悪い行いを慎む。
そして心を清める。

今の私には、これだけで十分。
(というか、これが生涯かけてやること、だよねって思う。)























<千葉の家リフォーム> 5月19日

【千葉の古民家 リフォーム報告 2014年5月】

ガツガツと寸暇を惜しんでリフォーム作業をしていた頃の必死さは漂わなくなり、やっと頭に手拭い巻いて…という作業はほぼ終了。

それでもまだまだやることはたくさんありますが、やっとここまで来たよぅ~の報告。

ほぼ同じアングルからの写真。

改めて見るとやはり全然違います。

快適になってきた♪
幸せ(*´∀`*)

<千葉の家 リフォーム>5月4日

【2014年 5月4日 千葉の家 DIYリフォーム】

久しぶりDIYリフォームの作業。

今日は
●障子の枠のペイント
●窓枠のペイント
●キッチンの漆喰塗り
●玄関の壁の漆喰塗り
の予定。

それぞれの得意な作業を、ということで、信博さんはペイント作業、私は漆喰塗り。

養生から始まり、後片付けまで。
終わる頃には日もくれてくたくた。

でも、仕上がり上々で、満足です。

「原因」と「結果」

全てのことには「原因」がある。

このことについて、今の私が経験的に知っている範囲内で、
私なりに思っていることがあります。

この言葉の意味は、
「今、ここにある現実については、100%原因となる『種』が存在する」ということで、
決して「今こうしたら、(未来は)100%こうなる」という方向ではない、ということ。

例えて言うと、
これを食べたら病気になる、とか
これを食べれば病気にならない、とかってことはないけれど、

今、私の身体が不調なのには何かしらの「原因」があるし、
今、私がこういう現実を体験しているのは何かしら自分が「種」を蒔いたから、

ということ。


今日、書店で何気なく手に取った本。


この本の表紙の裏に佐藤初女さんの言葉。
「最近、「これを食べれば病気にならない」など、極論のようなことが流行ったりするけど、
そういった食事は、病気への恐怖や生へのこだわりが強くなりすぎて、
かえって体に良くないと思う。」と書いてありました。

私が食に強いこだわりを持つようになったのは、母ががんになった時。
父も私が小学生の時に脳血栓で倒れているし、家族は糖尿病だの癌だの
とにかく幼い時に「死」と「病」について多くの経験をしていたので、初女さんが
おっしゃる通り「病気への恐怖」と「健康でないことへの嫌悪」が相当強かった
のだと思います。

ここ数年は、瞑想の10日間コース坐るたびに自分が、身体の「良い」状態を
求め、「悪い」状態を嫌悪していたことに気が付き、そのあまりの深さに自分でも
びっくりするのですが、同時にその条件付けから少しづつ解放されていることにも
気が付きます。

なので、私はようやく「これを食べると『良い』とか『悪い』」とかいう条件付けから
自由になりつつある気がしているのです。


先のことを考えて食べたり、料理したり、というのは必ずしも法則は見つけられない。
でも、今の自分を観察したときに、それが何の原因でこうなっているか?を
分かって対応することには意味があると思っています。
簡単に言えば、「これを食べると太る!」とかって法則は当てはまらないこともある。
でも「私はこういう食生活をしてきたから、こういう生活だったから太った」という考え方
には意味があるって思う、ということ。


が、しかし。

頭でさんざん考えてきたけれど。


地元も野菜や、採れたての恵みと距離が近くなって以来、
「理論も、理屈も、もういいじゃん?」って。
今、ここにあるものを美味しくいただきましょうよ。
それだけで十分、って。

純粋な食べ物を、
純粋な思いで作った料理。
それはやはり伝わるんだよなあ、って。

さんざん小難しいことを考えて、こねくり回してきた揚句、
ようやくそこはもう卒業かな。
でも、その過程はすべて生きてるよ。私の中に。

病気への恐怖や、健康への執着を極端までに味わい尽くしたお蔭で
そこから解放される道のりを歩くことが出来たこと。
これはやはり私には必要な道のりだったと誇りをもって言えます。



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