2015/01
2015/01/30
1か月の留守から戻りました
2014年12月21日~2015年1月21日まで、イギリスのヴィパッサナー瞑想センター
Dhamma Padhanaにて、30日間の瞑想コースに参加してきました。
”ただいまあ~”です。
すっかりご無沙汰し、年末年始のご挨拶も失礼してしまいましたが、
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
::::::::::::::
今年でこの修行をはじめて10年になります。
最初のころは、ただ1年に1回10日間コースに参加して、コース終了後は
家でも瞑想してたけど、それもそのうちやらなくなって・・・・というのが四年ぐらい
続きました。
でも、なんで毎年10日間コースに行き続けたか?
それは、やはり、この修行は自分にとってとても大事なことだと思えていた
からだと思います。この修行だけが、今まで出会ったどんなものよりも、
私に押しつけを感じさせなかった(胡散臭くなかった(笑))のです。
瞑想に出会う前、私は自分の心、感情に振り回されていました。
不安、心配、罪悪感、劣等感、人や状況への嫌悪、願っても叶わないことへの
落胆、いらだち・・・・・挙げたらきりがありません。
毎日の暮らしの中で、それらは繰り返し、繰り返し起こり、何かショックなことが
起きようものなら、不安で震え、一人ではいられず、数日かかって漸く普通の
暮らしに戻るような、そんな人でした。
よい人間でありたいと思っても、わかっているのに嫌な言葉を吐いてしまったり、
疑い深かったり。
”普通”のモラルをもった生活をしたいと思っても、それを偽善じゃないかと思ったり、
人の信頼を裏切るようなことをしてしまったり。
自分で自分の心の野獣を全く躾できていなかった感じです。
心のコントロールができないことに、苦しんでいたんだな、と今は思えます。
瞑想を始めてから、少しづつ、本当に少しづつ、心・感情に振り回されないように
なった。十年を振り返って、それが今ようやく実感できています。
::::::::::::::::::::::
今回イギリスで多くの人に「なんでイギリスに来たの?」と聞かれ、それに
「瞑想」って答えました。決まってみんな驚いて、でも”Cool!"(かっこいいね!)
って言われました。
そこから会話は広がって、
「どんな修行なの?」
「何をするの?」
「やってみてどう?」
っていう感じの話をその度にしました。
そして、ひととおり話をするとみんな「ああ、私にも必要なことだと思う」
「心が落ち着いていること、それは本当に私が求めていること」
「素晴らしいね、私もやってみたい」って言われました。
そう、みんな、みんな、苦しんでるんだ。
心・感情に振り回されて。
不安や怒り、罪悪感や劣等感。
自分でも、どうやって自分の心のこの暴走を手なずけたらよいのかわからない。
みんな、心が静かで、落ち着いていて、穏やかな状態で居たいんだ。
人と朗らかに、笑顔で、助け合って、生きたいんだ。
:::::::::::::::
瞑想修業を始めてから、時々、思うことがありました。
道徳律を守りながら生きることは、本当に意味のあることなんだろうか?
コース中も、繰り返し繰り返しこの戒律を守ることが大切さを言われるけれど、
なんでこんなに繰り返されるんだろう?
(私たちが修行する瞑想では、以下の道徳律を守り修行することが必要です。
1. 生き物を殺さない。
2. 盗みを働かない。
3.不純な性行為を行わない。
4. 嘘をつかない。陰口、噂話、悪い言葉を使わない。
5. 酒・麻薬の類を摂らない。)
でも、この道徳律を守ろうと心がけることがまぎれもなく「心の落ち着き」に大きく
作用することが自分の経験から実感できました。
ああ、こうして少しづつ、少しづつ、私は心の落ち着きを知り、
暴走していた心を少しづつ、少しづつコントロールできるようになってきたのです。
この修行は苦しみからの解放の道と言われます。
「幸せになる」のではない。
「苦からの解放」なんです。
この道は長い道のりで、やっと数歩進んだに過ぎないと思うけれど、
10年前あの苦しかった気持ちがあったからこそ、この道に出会えたのだと、
これを続けてよかった、と心から思っています。
私も、みんなも、苦しみから解放されますように。
自由でありますように。
Dhamma Padhanaにて、30日間の瞑想コースに参加してきました。
”ただいまあ~”です。
すっかりご無沙汰し、年末年始のご挨拶も失礼してしまいましたが、
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
::::::::::::::
今年でこの修行をはじめて10年になります。
最初のころは、ただ1年に1回10日間コースに参加して、コース終了後は
家でも瞑想してたけど、それもそのうちやらなくなって・・・・というのが四年ぐらい
続きました。
でも、なんで毎年10日間コースに行き続けたか?
それは、やはり、この修行は自分にとってとても大事なことだと思えていた
からだと思います。この修行だけが、今まで出会ったどんなものよりも、
私に押しつけを感じさせなかった(胡散臭くなかった(笑))のです。
瞑想に出会う前、私は自分の心、感情に振り回されていました。
不安、心配、罪悪感、劣等感、人や状況への嫌悪、願っても叶わないことへの
落胆、いらだち・・・・・挙げたらきりがありません。
毎日の暮らしの中で、それらは繰り返し、繰り返し起こり、何かショックなことが
起きようものなら、不安で震え、一人ではいられず、数日かかって漸く普通の
暮らしに戻るような、そんな人でした。
よい人間でありたいと思っても、わかっているのに嫌な言葉を吐いてしまったり、
疑い深かったり。
”普通”のモラルをもった生活をしたいと思っても、それを偽善じゃないかと思ったり、
人の信頼を裏切るようなことをしてしまったり。
自分で自分の心の野獣を全く躾できていなかった感じです。
心のコントロールができないことに、苦しんでいたんだな、と今は思えます。
瞑想を始めてから、少しづつ、本当に少しづつ、心・感情に振り回されないように
なった。十年を振り返って、それが今ようやく実感できています。
::::::::::::::::::::::
今回イギリスで多くの人に「なんでイギリスに来たの?」と聞かれ、それに
「瞑想」って答えました。決まってみんな驚いて、でも”Cool!"(かっこいいね!)
って言われました。
そこから会話は広がって、
「どんな修行なの?」
「何をするの?」
「やってみてどう?」
っていう感じの話をその度にしました。
そして、ひととおり話をするとみんな「ああ、私にも必要なことだと思う」
「心が落ち着いていること、それは本当に私が求めていること」
「素晴らしいね、私もやってみたい」って言われました。
そう、みんな、みんな、苦しんでるんだ。
心・感情に振り回されて。
不安や怒り、罪悪感や劣等感。
自分でも、どうやって自分の心のこの暴走を手なずけたらよいのかわからない。
みんな、心が静かで、落ち着いていて、穏やかな状態で居たいんだ。
人と朗らかに、笑顔で、助け合って、生きたいんだ。
:::::::::::::::
瞑想修業を始めてから、時々、思うことがありました。
道徳律を守りながら生きることは、本当に意味のあることなんだろうか?
コース中も、繰り返し繰り返しこの戒律を守ることが大切さを言われるけれど、
なんでこんなに繰り返されるんだろう?
(私たちが修行する瞑想では、以下の道徳律を守り修行することが必要です。
1. 生き物を殺さない。
2. 盗みを働かない。
3.不純な性行為を行わない。
4. 嘘をつかない。陰口、噂話、悪い言葉を使わない。
5. 酒・麻薬の類を摂らない。)
でも、この道徳律を守ろうと心がけることがまぎれもなく「心の落ち着き」に大きく
作用することが自分の経験から実感できました。
ああ、こうして少しづつ、少しづつ、私は心の落ち着きを知り、
暴走していた心を少しづつ、少しづつコントロールできるようになってきたのです。
この修行は苦しみからの解放の道と言われます。
「幸せになる」のではない。
「苦からの解放」なんです。
この道は長い道のりで、やっと数歩進んだに過ぎないと思うけれど、
10年前あの苦しかった気持ちがあったからこそ、この道に出会えたのだと、
これを続けてよかった、と心から思っています。
私も、みんなも、苦しみから解放されますように。
自由でありますように。
2015/01/27
べジキムチに使っている唐辛子の情報
手作りべジキムチに使っている唐辛子の情報です!
Amazonで買えるので、千葉の古民家周辺の方でも比較的楽に購入できます。
<粗挽き―1㎏>
ヘッキムチ用唐辛子1kg
細粒のほうの唐辛子こちら
<調味用-200g>
ヘッ調味用唐辛子200g
これを1つづつ購入すると、レシピ5回分のキムチが作れます!
ぜひご活用くださいね♪
Amazonで買えるので、千葉の古民家周辺の方でも比較的楽に購入できます。
<粗挽き―1㎏>
ヘッキムチ用唐辛子1kg
細粒のほうの唐辛子こちら
<調味用-200g>
ヘッ調味用唐辛子200g
これを1つづつ購入すると、レシピ5回分のキムチが作れます!
ぜひご活用くださいね♪