2016/02
2016/02/29
感覚を拓く。
料理教室を始めた当初から
「私が伝えたいのは料理の作り方ではない!」とずっと思っていた私。
そもそも私は料理を「習った」とか「教えてもらった」ことがないんです。(上海では点心の学校に通ったので、それは教えてもらった、に入りますね。)
自分は料理を教えてもらったことないのに、なんで料理を教えてるんだ?!という自問を繰り返してました。
私の実家は料理屋です。母方の実家も鮨屋です。「料理はおすわるもんではない」っていう空気の中で育ったんです。
※おすわる、は、教わるの江戸弁
料理学校を出て店に入ってくる若い衆は「学校でなにおすわって来たんだい?」って常に言われてましたから、料理を習うなんて全く想像したこともありませんでした。
私は3人兄弟の末っ子で常にちびっこでしたので、いつでも家の中で一番足手まとい。調理場に入ってもせいぜいお椀拭きぐらいしかさせてもらえず、ましてや料理なんて一度もしたことありませんでした。
「あんたは何にも出来ないんだから、良く見ときなさい。」と良く親に言われてました。そして時々ちょこっとだけ手伝いをさせられました。
しかし不思議なことに私は「自分は料理が出来ない」と思っていなかった。結婚して自分が料理を作るようになったら、食べたいと思うものは大抵つくり方を知ってたし、なにをどう調理すればどんな味になるか?は食べれば大抵わかりました。
子供の頃、調理場でずっとお椀拭きしてたのも、一番出汁の香りを全身に浴びてたのも、たくさんの料理が並ぶお客さんのテーブルを遠くから見てたのも、すべて私が料理をするための「感覚」を育ててくれていたんです。
本やレシピとにらめっこしながら作るのではなく「感覚」で作る料理。
私がやりたいのはその「感覚」を拓く手助けだったんです。
〜続く〜
2016/02/26
料理研究家?!
2006年に自宅にて料理クラスを始めて以来、「料理研究家」とか、「料理家」とか呼ばれるようになりました。
料理の先生、と言われるようになり、
おかげさまでそれでお金をいただくようになりました。
その仕事のおかげでたくさんの出逢いがあり、心通う関係を築くことができ、美味しい料理は人の心を和ませ、幸せにするなぁ、とことあるごとに感じます。
食の大切さを伝えることはとても大事なことだし、料理は自身の感覚を磨き、自分なりの作品を創り出す創作だと感じています。
それはまぎれもない事実なのですが、私は自分が料理研究家と呼ばれるのも、料理家と言われるのも、料理の先生と言われるのもしっくりこなくて、どちらかというと違和感バリバリでした。
常に「私が伝えたいのは料理の作り方ではない!」という想いがあったんです。
〜続く〜
2016/02/24
私スタイルの田舎暮らし
2015年の12月に東京の拠点を完全に引き払って、千葉の古民家「芳泉茶寮」に越した高橋家。
これからは東京都心と、長閑な田舎を繋ぐ役割を果たしたいと思っています。
私自身、東京のど真ん中に生まれ育ち、街の暮らしを満喫してきました。
そんな私がカントリーライフに開眼したのは2年間を過ごしたイギリスでのこと。
眼前に広がる鮮やかな緑の中に、築数百年の家が建っていて、その家が自然と調和していました。
そして、驚いたことにその家の中では都会の家よりも素敵な、センスある暮らし&快適そのものの暮らしが営まれていて、私はすっかり心奪われました。
「私もこんな風な暮らしがしたい」
なにより私が気に入ったのは、
田舎暮らし=暗い、寒い
というイメージを覆す、暖かくて、
明るくて、快適そのものの暮らしでした。
田舎=田舎臭い
というのではなく、
洗練された自然美と、現代の暮らしの便利さが調和した空間でした。
「そっか!私のやりたい暮らしはこれだ!」
と思えた経験でした。
今、改修している自宅古民家「芳泉茶寮(ほうせんさりょう)」は、そんな私たちの経験を生かした空間にしたいと思っています。
快適でカッコいいキッチンの実現はもうすぐ!
ただいま、を言ってませんでした(^_^;)
12月20日に日本を発ちスリランカへ。
2月8日に無事帰国しました。
「ただいまー!」です。
帰国してから、いろいろと忙しくしていて、
まだご挨拶もしていませんでした。
おかげさまでスリランカで素晴らしい時間を過ごしてきました。
初めてのスリランカへの旅。
美味しくて止まらないスリランカの食事、
快適な気候、
心優しい人々、
素晴らしい景色。
是非是非また訪れたい国です。
そしてもちろん、スリランカ滞在のメインの目的だったヴィパッサナー瞑想の30日間コースも実り多き時間でした。
充実した時間をありがとう。
瞑想センターのキッチンにて。
美味しい食事を毎日ありがとう。