2016/06

2016/06/15

尊厳と自由

6月13日月曜日は高速バスに乗って横浜へ。

関内の映画館にて「不思議なクニの憲法(松井久子監督)」を観ました。

【不思議なクニの憲法】



今日、6月15日水曜日は今度は東京行きの高速バスに乗って日比谷の映画館へ。

「マイケルムーアの世界侵略のススメ」を観ました。

【マイケルムーアの世界侵略のススメ】



この二本を立て続けに観たのはとても良かった。


✨人としての尊厳✨
✨自由✨

これらは、自らのたゆまぬ努力によって初めて持ち続けることが出来るということが心に深く刻まれました。

私は「尊厳や自由を勝ち取った」というよりも、それらを自分自身が当たり前のように享受出来ていることへの(それを獲得する努力をしてきた人への)感謝によって、今の状況を保持していく重要性を認識しているのですが、社会のシステムとしてそれを維持し続けることは、一人一人が自らの尊厳と自由を言葉や行動で表現していくことがとても重要であるということを認識しました。


私個人として、尊厳と自由を自覚できるようになったのは夫である信博さんのおかげです。

私は恵まれた環境に育ちました。だからなぜ、私の中に長い間そこはかとない束縛感や自身への尊厳に揺らぎがあったのか?と思いますが、それはどこにでもある「親との関係性」や「学校教育の中での経験」、そして何より自分自身が自由と尊厳を勝ち取る力が不足していたという理由からだったのでしょう。

私は信博さんに出会い、彼の私への姿勢ー私を尊重し、そして私の自由を決して束縛しないーの中から、私自身への尊厳と自由に生きる権利を思い出しました。


これが得られた時に、人は周りの人にも同じような態度で接することが出来るようになると思います。相手の尊厳を認め、自由を認める。


これは、大変重要なことだと思います。


パートナーとの関係や親子の関係に限らず、すべての人、いや、すべての命との関係はこの認識の上に成り立つことが当然だと思います。


自分の周りの何かを、従属する存在と認識するようなことは、私は好きではありません。


この二本の映画を観て、私にとって何が大事なのか?何が大切だったからこうやって生きて来たのか?なとい謎がスルスルと解けた感じがします。


余裕。
尊厳。
自由。

最近の私のキーワードです。



















東京市ヶ谷にあるSwan&Lion。
イギリス料理が楽しめるデリです。

前から行きたかったのですが、ようやく行けました!

通常テイクアウェイのみなのですが、店先で食べさせていただきました。

チーズ&オニオンパイと、サラダ。

美味しかったです🎵

たまには大都会での楽しみもいいですね。


healthytastyandwise at 22:52|PermalinkComments(0)

2016/06/09

「苦しいから生きていることが判る」

整体、という考え方の第一人者といえば、野口整体の野口晴哉(はるちか)さん。

私は、「風邪の効用」や「整体入門」を読んで、この方の身体や心を捉える全体論的な感覚に共感し、今でも時々それらの本を読み返しています。


Facebookに【やさしい野口整体】というページがあり、先日紹介されていた野口晴哉さんの言葉にとてもたくさんの気づきをいただきました。

まず、その文章を紹介します。



〜ここから引用〜


《野口晴哉著 体運動の構造第二巻より》

裡(うち)の感覚

この間、ガスの中毒で殆ど死ぬ間際まで行った女の人がおりました。彼女は息を吹き返して、「あんなに気持ちのいいことはなかった。あのまま死んでしまうのなら、死ぬのは実に楽ですね。けれども息が戻ってからというものは急に苦しくなった。こんなに苦しいのなら生きるなんて厭なことだと思いました」と言っておりましたが、楽になるということは、死んだということと同じなのです。楽になることを突き詰めた処は死なのです。

生きるのは苦しいのです。だから、異常があるのに異常を感じなくなったというのは、体が鈍ってきたということで、苦しいというのは、生きようとする働きが体の中に起こっているということなのです。

楽になるように痛みを止めるとか、苦しいのを麻痺させるとかいう考え方は大変に可笑しい。生きていれば苦しいのが当たり前で、苦しいから生きていることが判るのです。

我々が活元運動や愉気をしておりますと、だんだん感覚が生きてきます。そして少しの異常でも感じるようになります。

痛いという処に愉気をしていると、だんだんそれが(痛みが)取れて、そこに当たっていた手が 自然に離れて他に行く、そしてそこでまた新しい感じが起こる。

三年前、あるいは五年前に痛めた処が、また同じように痛みを感じ出すということがよくあります。それは、体が恢復して痛みを感じられるようになったからです。

今まで感じられなかったものが感じられるということは進歩です。風邪を引けば、そこで偏り疲労が調整されるのです。引かなければ、もっと長い間その偏りが続くのです。

整体にするということは、体の持っている感覚を活かしていくことであり、体が生きる方向にいくようになるということは、それ自体が恢復を示しているのです。それを病気を背負っているような人達は、そういう新しい異常感を迎える心の準備がないのです。

〜引用ここまで〜



「生きていれば苦しいのが当たり前で、
苦しいから生きていることが判るのです」

そう、そうなのです。
そうなのです。
完全に言い切ってるこの言葉を目にして、
すごく胸に響きました。

そして、苦しくてよいのだと、
苦しみかに目を背けたり、
苦しみからもがき逃げようとするのではなく、
それを観察する。
平静な心でそれを観察する。

ヴィパッサナーの修業を、
また一つ言葉で納得することができました。



生きることは苦しみで、
しかも、その苦しみはすべて自分が生み出している
ということが根底なのです。
 
それが理解されていない人の言葉は、
なんだか薄っぺらいポジティブ思考のように
感じるのです。

自然の摂理を知恵として知っている人の言葉は、
ずしっと胸に響きます。






2016/06/01

庭師と弁護士

5月8日から28日まで、夫が奈良県吉野山にて【林業就業者支援講習】に3週間参加し、先日無事帰宅しました。











安全講習もいっぱい

「庭師と弁護士」が大学当時の彼の夢で、後者をすでに叶えた彼にとって、いよいよ庭と向き合えるというのが本当に嬉しそう。

「庭」と言っても、彼がやりたいのは山の手入れや大地の再生、といったこと。扱う範囲は普通に考える「庭」ではなくて、もっとスケールが大きいのです。

庭師と弁護士というのは、なんかかけ離れたことのように感じるかも知れませんが、彼が持っている特性を理解すると、なぜか?が簡単に理解できます。

「滞ったものを、流す」
「絡まったものを、解く」
「問題があるところを、解決する」

会社同士がM&Aなどを行う際の仕事をしてたのと、大地が健全であるように手助けしたいというこの2つは、このような彼の特性を理解すると、なるほど同じことなのね、と思えます。


大地が健全であるように手助けする、という考え方は矢野智徳さんが第一人者です。夫は矢野さんの活動を知った時、自分がやりたいことは、矢野さんがされている活動そのものだと思ったのではないかと思います。


矢野さんの活動を深く理解され、大地の再生活動をされている高田宏臣さん。
千葉にある高田造園の代表の方です。

そんな高田さんの大地の再生講座に5月29日から月1度、6回シリーズを通うことになりました。うちから車で30分のところで開講されるのを知り、急いで申し込みました。

 
高田さんは吉野山の桜の再生にも関わっておられ、夫が吉野で出会った庭師の方も高田さんにもつながっていたという…

縁を感じずにはいられません。


東京に住んでいた時よりも、興味の方向性が同じ人たちとどんどん知り合えてる感じがします。

楽しいことがたくさんたくさんありすぎて、全然スローライフじゃありません(笑)


















お土産の吉野のよもぎもち
めちゃくちゃ美味しかった!