【衣・食・住】 住空間
2015/02/24
キッチンの照明、施工例に載せていただきました
昨年夏に、千葉の家の照明を検討~取り付けたときにお世話になった
会社さんのページに施工例として載せていただきました。
コンコルディア照明施工例
http://www.christopher-wray.co.jp/sekourei/style/natural/-t25.html
自分で書いてるブログも振り返ると、すんなり決まったように読めるけど、
ここまでに至るまでにあーでもない、こーでもない、とさんざん
話し合いをしたなあ、と懐かしく思い出します。
おかげさまでキッチンに馴染んでて、設置後全然気にならない。
気にならないっていうのは、自然な証拠ですよね。
千葉の家のキッチン、とても快適です!
会社さんのページに施工例として載せていただきました。
コンコルディア照明施工例
http://www.christopher-wray.co.jp/sekourei/style/natural/-t25.html
自分で書いてるブログも振り返ると、すんなり決まったように読めるけど、
ここまでに至るまでにあーでもない、こーでもない、とさんざん
話し合いをしたなあ、と懐かしく思い出します。
おかげさまでキッチンに馴染んでて、設置後全然気にならない。
気にならないっていうのは、自然な証拠ですよね。
千葉の家のキッチン、とても快適です!
2015/02/18
心が落ち着くごはん
精米したての五分つきごはん。
炊きたてを、曲げわっぱのお櫃にとると美味しいの。
たくわんは、秋に信博さんと二人で仕込んだもの。塩とぬか、昆布と唐辛子で美味しくできた。
梅干しはもちろん去年の手作り。
酸っぱくて、ちょっとかじるだけでごはん食べられちゃう。
二年ものの手前味噌で作ったお味噌汁。ワカメと豆腐がいっぱい入ってます。
帰宅した、だんなさまに出した、今日のゆうげ。
質素なごはんたけど、私たちにはご馳走。
::::::::::::::::::::::::::::::::
私は日本料理屋に生まれ育った。
母の実家も鮨屋だった。
生まれ育った家に「家庭の台所」はなくて、
父や若い衆が忙しそうに働く厨房の奥には刺身を引く立派な板場があって
そこでマグロを刺身にする父からマグロの中落ちをもらうのが大好きだった。
厨房ではつぎつぎと華やかな料理が作られ、女中さんが運んでいった。
なので、私はそういう料理をちょこっといただくのが常で、それが私にとっての食事だった。
そうやって作られる料理はたくさんのお客さんに幸せや満足や喜びをもたらしたと思う。
彼らにとっての「外食」「非日常」は、わたしにとっての「日常」だった。
不思議なもので、私はそういう食事で育ったのに(育ったから?)、日本人にとって
きわめて当たり前の、質素な普通の食事が愛おしくて仕方がない。
なぜかというと、たぶん、そういう食事をしているとき「心が落ち着いている」からだと思う。
華やかな、よそ行きの、非日常の食事も楽しい。
だけど、今の私にとって「心の落ち着く食事」がなんだか一番しっくり来るのです。
炊きたてを、曲げわっぱのお櫃にとると美味しいの。
たくわんは、秋に信博さんと二人で仕込んだもの。塩とぬか、昆布と唐辛子で美味しくできた。
梅干しはもちろん去年の手作り。
酸っぱくて、ちょっとかじるだけでごはん食べられちゃう。
二年ものの手前味噌で作ったお味噌汁。ワカメと豆腐がいっぱい入ってます。
帰宅した、だんなさまに出した、今日のゆうげ。
質素なごはんたけど、私たちにはご馳走。
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私は日本料理屋に生まれ育った。
母の実家も鮨屋だった。
生まれ育った家に「家庭の台所」はなくて、
父や若い衆が忙しそうに働く厨房の奥には刺身を引く立派な板場があって
そこでマグロを刺身にする父からマグロの中落ちをもらうのが大好きだった。
厨房ではつぎつぎと華やかな料理が作られ、女中さんが運んでいった。
なので、私はそういう料理をちょこっといただくのが常で、それが私にとっての食事だった。
そうやって作られる料理はたくさんのお客さんに幸せや満足や喜びをもたらしたと思う。
彼らにとっての「外食」「非日常」は、わたしにとっての「日常」だった。
不思議なもので、私はそういう食事で育ったのに(育ったから?)、日本人にとって
きわめて当たり前の、質素な普通の食事が愛おしくて仕方がない。
なぜかというと、たぶん、そういう食事をしているとき「心が落ち着いている」からだと思う。
華やかな、よそ行きの、非日常の食事も楽しい。
だけど、今の私にとって「心の落ち着く食事」がなんだか一番しっくり来るのです。
2015/02/16
3月1日(日)「美味しい春野菜の天ぷら」in 長南町
【3月1日(日)のイベント告知】
"老舗の天ぷら屋若旦那に習う
「美味しい春野菜の天ぷら」in 長南町"
≪庭で採れたてのふきのとう≫
古民家の庭で摘みたての蕗の薹を、
里山で掘りたての筍を、
無農薬蓮根を、
老舗天ぷら屋の若旦那が天ぷらにしたらどんなにおいしいだろう!
そんな私の妄想を、小学校の同級生である若旦那が叶えてくれることになりました。
美味しく天ぷらをあげる方法を教えていただきながら、春野菜を満喫するイベントです。
詳細は今最終検討中なので、まず、日程と場所だけ告知します。
3月1日、長南町の高橋家古民家にて開催します。
ご興味あるかた、メッセージなどでご連絡くださいね!
::::::::::::::::::::::::::::::
*お申し込みはこちらへ
healthytastyandwise☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
:::::::::::::::::::::::::::::::
"老舗の天ぷら屋若旦那に習う
「美味しい春野菜の天ぷら」in 長南町"
≪庭で採れたてのふきのとう≫
古民家の庭で摘みたての蕗の薹を、
里山で掘りたての筍を、
無農薬蓮根を、
老舗天ぷら屋の若旦那が天ぷらにしたらどんなにおいしいだろう!
そんな私の妄想を、小学校の同級生である若旦那が叶えてくれることになりました。
美味しく天ぷらをあげる方法を教えていただきながら、春野菜を満喫するイベントです。
詳細は今最終検討中なので、まず、日程と場所だけ告知します。
3月1日、長南町の高橋家古民家にて開催します。
ご興味あるかた、メッセージなどでご連絡くださいね!
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*お申し込みはこちらへ
healthytastyandwise☆gmail.com
(☆を@に変えてください)
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2014/12/05
”だんなさんが帰ってきたくなる家”を調える知恵
昨日、とあるセミナーに参加してきました。
”自分が一番輝いていた場面を思い出して”と言われ、
さんざん悩みましたが、一つの場面を思い出しました。
それは、15年ほど前に暮らしていたロンドン東部の家に住んでいた時の
ことでした。
・・・・・・・・・・・・・
駐在員として行ったわけではなかったから日本人がいるようなところには
住めず、ローカル誌の広告を見て、電話して家を探しました。
ある日見に行ったのは150年ぐらい前に建てられた長屋で、
床はゆがんでるし、家にあった家具も”いけてない”感じだし、
小さな裏庭は草ぼうぼうで元の姿がわからないぐらい荒れ果ててるし。。
でも、目の前には、向こうの端が見えないぐらい大きな公園があって、
その家を見に行ったとき、公園の向こうに大きな虹がかかってて。
私たちはその家に決めました。
見知らぬ土地で、見知らぬ人たちの中での生活。
家の作りも設備も住み慣れた日本とは違うし、たとえば電球
一つ買うのも、
・どこに行けばいいのか?
・商品名は何といえばいいのか?
・どんなふうにやりとりしたらいいのか?
など、ひとつひとつが大イベントのような日々でした。
若手弁護士として毎日毎日朝から夜中まで、数日間の徹夜も普通で
働き続ける信博さんを頼るわけにはいかず、そんな中、
「どうしたら彼が寛げる家を作ることが出来るだろう?」
「『帰ってきた~』と安堵できる空間をどのように作ればいいのだろう?」
と、生活を調えていくことに奔走していた日々でした。
”自分が一番輝いていた時”。
私が思い出したのはこの日々のことでした。
信博さんのイギリス転勤をきっかけに私は専業主婦になりました。
それまでは、私も働いていて、そのころの年収は二人とも同じぐらいでした。
私は、その当時勤めていた会社の上司に「ロンドンオフィスに転勤
させてもらえるか?」と、相談しました。
彼の答はこうでした。
「外で働くのは辞めて、何か自分を好きなことをしたら
どうかな?何か勉強するとか。せっかく新しい場所と、
時間を得ることが出来るのだから」
「ふーん、そうかぁ。ロンドンで働くのも楽しいと思ったんだけどな」
と思いながら、席に戻ったことを覚えています。
私の上司は、転勤してロンドンに行った後、信博さんがどんな働き方を
しなくてはならなくなるかを知っていたのだと思います。
法律事務所の若手弁護士が、本社のある英国に行って、どんな日々を
過ごすことになるのか。
私が外で働いていたら生活が成り立たないということをわかっていて、
私に主婦であることを進言してくれたのだと思います。
私が自分の天職に出会えたのは、この言葉のお蔭だと心から
感謝しています。
パンを焼いてはサンドイッチを作ってお弁当にしたり、
徹夜が続くときは、お重に詰めたお弁当とワイシャツとネクタイを
オフィスに届けたり。(ロンドンの中心まで行く電車代が高くて、
いつも長時間バスに揺られてオフィスまで辿り着いてました。)
そんな姿を時々目にしていた信博さんの女性の同僚からは、いつも
「私も裕子を奥さんに欲しい」と人気の的でした(笑)。
経済的に余裕なかったけど、その中でいろいろ工夫して快適で
楽しい空間を作る楽しさ、暮らしを調える知恵を得る喜びを
知ったのはこの時だったと思います。
そして今。
私、まったく同じことしてるな、って思います。
古民家と出会い、そこで楽しく、快適に暮らすチャレンジをして。
仲間に、自然に支えられながら”なんて幸せなんだろう”って思える
日々を調える。
日常の恵みをいただいて、料理をし、食べ、満足し、
より多くの人が幸せに恙なく暮らせるように願う。
すべての始まりは、私にとって”家”、そして”暮らし”なのだと、
自分の軸を再認識した機会でした。
8年前ぐらいに取材していただいた時の記事。
私、同じこと言ってますね、やっぱり(笑)
”自分が一番輝いていた場面を思い出して”と言われ、
さんざん悩みましたが、一つの場面を思い出しました。
それは、15年ほど前に暮らしていたロンドン東部の家に住んでいた時の
ことでした。
・・・・・・・・・・・・・
駐在員として行ったわけではなかったから日本人がいるようなところには
住めず、ローカル誌の広告を見て、電話して家を探しました。
ある日見に行ったのは150年ぐらい前に建てられた長屋で、
床はゆがんでるし、家にあった家具も”いけてない”感じだし、
小さな裏庭は草ぼうぼうで元の姿がわからないぐらい荒れ果ててるし。。
でも、目の前には、向こうの端が見えないぐらい大きな公園があって、
その家を見に行ったとき、公園の向こうに大きな虹がかかってて。
私たちはその家に決めました。
見知らぬ土地で、見知らぬ人たちの中での生活。
家の作りも設備も住み慣れた日本とは違うし、たとえば電球
一つ買うのも、
・どこに行けばいいのか?
・商品名は何といえばいいのか?
・どんなふうにやりとりしたらいいのか?
など、ひとつひとつが大イベントのような日々でした。
若手弁護士として毎日毎日朝から夜中まで、数日間の徹夜も普通で
働き続ける信博さんを頼るわけにはいかず、そんな中、
「どうしたら彼が寛げる家を作ることが出来るだろう?」
「『帰ってきた~』と安堵できる空間をどのように作ればいいのだろう?」
と、生活を調えていくことに奔走していた日々でした。
”自分が一番輝いていた時”。
私が思い出したのはこの日々のことでした。
信博さんのイギリス転勤をきっかけに私は専業主婦になりました。
それまでは、私も働いていて、そのころの年収は二人とも同じぐらいでした。
私は、その当時勤めていた会社の上司に「ロンドンオフィスに転勤
させてもらえるか?」と、相談しました。
彼の答はこうでした。
「外で働くのは辞めて、何か自分を好きなことをしたら
どうかな?何か勉強するとか。せっかく新しい場所と、
時間を得ることが出来るのだから」
「ふーん、そうかぁ。ロンドンで働くのも楽しいと思ったんだけどな」
と思いながら、席に戻ったことを覚えています。
私の上司は、転勤してロンドンに行った後、信博さんがどんな働き方を
しなくてはならなくなるかを知っていたのだと思います。
法律事務所の若手弁護士が、本社のある英国に行って、どんな日々を
過ごすことになるのか。
私が外で働いていたら生活が成り立たないということをわかっていて、
私に主婦であることを進言してくれたのだと思います。
私が自分の天職に出会えたのは、この言葉のお蔭だと心から
感謝しています。
パンを焼いてはサンドイッチを作ってお弁当にしたり、
徹夜が続くときは、お重に詰めたお弁当とワイシャツとネクタイを
オフィスに届けたり。(ロンドンの中心まで行く電車代が高くて、
いつも長時間バスに揺られてオフィスまで辿り着いてました。)
そんな姿を時々目にしていた信博さんの女性の同僚からは、いつも
「私も裕子を奥さんに欲しい」と人気の的でした(笑)。
経済的に余裕なかったけど、その中でいろいろ工夫して快適で
楽しい空間を作る楽しさ、暮らしを調える知恵を得る喜びを
知ったのはこの時だったと思います。
そして今。
私、まったく同じことしてるな、って思います。
古民家と出会い、そこで楽しく、快適に暮らすチャレンジをして。
仲間に、自然に支えられながら”なんて幸せなんだろう”って思える
日々を調える。
日常の恵みをいただいて、料理をし、食べ、満足し、
より多くの人が幸せに恙なく暮らせるように願う。
すべての始まりは、私にとって”家”、そして”暮らし”なのだと、
自分の軸を再認識した機会でした。
8年前ぐらいに取材していただいた時の記事。
私、同じこと言ってますね、やっぱり(笑)